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2012. 12. 16 降誕前第2主日礼拝

「先駆者サムソンとヨハネ」  林陽子牧師
士師記 13:2-14 / マタイによる福音書 11:2-19


 サムソンの母となる女性は不妊の女でした。けれども主の使いが現れて「あなたは身ごもって男の子を産む。(中略) 彼はペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう。」と告げられます。洗礼者ヨハネの母エリサベトも不妊の女でありました。夫のザカリヤに主の天使が現れ「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子は母の胎にいるときから聖霊に満たされ、彼はイスラエルの民を神である主のもとに立ち帰らせる。」との啓示を受けていました。サムソンとヨハネは誕生の様子が大変よく似ています。
  ヨハネは厳格な修道生活をなし清貧に甘んじましたが、最後の牢の中にありましては「来るべき方はあなたでしょうか。それとも他の方をまたなければなりませんか」と、イエスさまに尋ねるほど心に迷いが生じていました。一方、サムソンは先駆者として立てられながらも、女性に弱く節度のない生き方をしたように見えますが、牢の中で悔い改めました。ようやく自身に課せられました使命を悟り、自らの命を犠牲にしてペリシテ人の命を奪いイスラエルを救いました。ヨハネもサムソンもそれぞれの生き方で先駆者の道を歩みました。


2012. 12. 9 降誕前第3主日礼拝

「待ち望む日々」  林邦夫牧師
イザヤ書 55:6-11 / ローマの信徒への手紙 15:4-13


 2000年前にやって来られた神のみ子を、今年もまた私たちは待ち望みます。そしてそのみ言葉が私たちのもとに「受肉」し、私たちを目覚めさせ、成熟させ、豊かに実を結ばせてくださることを願い求めるのです。
 アドベントのこの時期、私たちはこの一年の間に私たちの心の上に積み重なってしまった覆いを、力をふるって打ち砕かなければなりません。そしてひとつひとつ、そのかけらを取り除かなければならないのです。詩編51編の詩人は次のように歌っています。「しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊、打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。」(19節)
 クリスマスを迎えて、東方の学者たちはみ子イエス・キリストに黄金、乳香、没薬を献げたと伝えられています。私たちにとって、み子に献げるべきものがあるとすれば、それは私たち自身の「打ち砕かれ悔いる心」、そして神のみ言葉を受け入れる開かれた素直な心にほかなりません。
 アドベントの日々、私たちのこの日々を、そのようにして自らを省み、神のみ言葉を受け入れる準備の時として過ごしていきましょう。

2012. 12. 2 降誕前第4主日礼拝

「いざ、目覚めよ」  林邦夫牧師
イザヤ書 2:1-5 / ローマの信徒への手紙 13:8-14


 今日から待降節に入ります。私たちが生きている今の時がどのような意味で暗黒の時であるのか、そしてどのような意味で「神の時」であるのか、眠りの日常から覚めて、覚めた目で現実を見、そこに働き給う神のみ業を明確に見分けることで、主の来臨の意味を把握できるように、待降節の日々を歩みたいと思います。

「光は闇の中で輝いている」ことを見失うことなく、そして、この祈りが第一の終末の時と第二の終末の時、つまり中間時を生きる私たちの生活と倫理を導くものに他なりません。信仰において、神からの義を「持つ」私たちは、希望において救いの完成を、しかも世界の救いの完成、み国の成就を「待つ」のであります。この「持つ」と、「待つ」との間に、第一の終末と第二の終末との間を、わたしたちは愛の戒めを生きることに励まねばならないと、パウロは訴えているのではないでしょうか。

 待降節は、かつてキリストを迎えた人々の喜びを共にする季節です。すでに与えられた喜びを想起し、語り伝え、分かち合うこと。それは、私たちが来るべきみ国を待ち望む、「希望の原動力」です。すでに来られたキリストが再びやって来られる。この約束を信じて、私たちはまた今年もアドベントの時を過ごしましょう。