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2011.1.30

説教題「新しい神殿」 大村 清 牧師
ハガイ書1:1-9 / ルカによる福音書19:45-48

主イエスは「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい」(マタイ6:33)と言われます。最も大事なこと、第一次的なこと、なくてならないこと、ただ一つのことを求めて生きる幸いを語ります。主の言葉を信じて、「なによりもまず」「ただ一つ」「無くてならぬこと」を求めていきましょう。

2011.1.23

説教題「宣教の開始」 大村 清 牧師
ルカによる福音書4:16-30

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(マタイ11:28-29)。

「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐はわたしのすること、わたしが復讐する』と主は言われる」(ローマ12:19)。

 ユダヤ人たちは、主イエスの説教を聞いて、憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外に追い出し、山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。「町」とは社会のことです。「追い出す」とは「追放です」。イエスは罪人と断定され、その社会から追放されたのです。イエスを弁護する人は一人も出てきません。イエスはどんなに寂しく孤独であったでしょう。イエスの孤独に思いを馳せます。写真家の桃井和馬さんは連れ添いを失い、重い孤独感に悩みます。心の中に埋められない穴がぽっかり開いた。寂寥感、孤独感に覆われたと述べています。イエス様は、わたしたちが経験する何倍もの大きな孤独を経験しています。しかし、その孤独に打ち克つことが出来ました。この孤独に打ち克つものは何かを学びたいと思います。

2011.1.16

説教題「愛に満ちた人生を」 林 陽子 牧師
コロサイの信徒への手紙3:12-17

今日説教してくださるのは林陽子牧師です。林陽子牧師は次年度4月から赴任してくださいます。心から感謝します。御言葉の豊か恵みを共に与りましょう。

2011.1.9

説教題「主に生かされて新たな明日へ」 大村 清 牧師
イザヤ6:6-8 / ペテロⅠ1:22-25

新しい年に相応しい標語が与えられました。この教会標語を掲げて、教会生活を続けていきましょう。「慈愛の神が、わたしたち一人ひとりに与えてくださる人生の持場に向かって、主イエス・キリストの愛と平和を携えて出かけましょう」。派遣と祝福の言葉に促されて、希望をもって出ていきましょう。そして、満ちあふれる恵みを携えて帰って来ましょう。

「あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新しく生まれたのです」(ペトロⅠ1:23)。

「そのとき、わたしは主の御声を聞いた。『誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか』。わたしは言った。『わたしがここにおります。わたしを遣わしてください』」(イザヤ6:8)

 今年の教会標語は「主に生かされて新たな明日へ」です。「新」は、木を斤で切り倒し、その木から新しいものを生み出すことを意味しています。言い換えれば、希望です。こんにちの明日は、どこにも希望を見いだせない、先行き不透明です。しかし、御言葉を通して、希望を与えられる明日にしていきましょう。「生きた言葉によって」と言います。御言葉によって新しくされ、変わる明日を望み、「新たな明日へ」を掲げて歩んでいきましょう。主はわたしたちが立ち上がるのを待っておられます。


2011.1.2

説教題「旅立ち 生きる」 大村 清 牧師
ヨハネ黙示録3:7-8 / 使徒言行録12:5-11

今年も主なる神の恵みと導きが豊かに注がれることをお祈りいたします。主にある良き交わりが与えられ、互いに慰め合い、励まし合っていきたいと思います。「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」(ヨハネ4:23-24)。新しい年も福音の喜びが満ちあふれた礼拝を献げていきたいと願っています。

「わたしは、強く、雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」(ヨシュア記1:9)。

「世を去る時が近づきました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。かの日にそれをわたしに授けてくださいます。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれでも授けてくださいます」(テモテⅡ4:8)

「主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです」(コリントⅠ15:58b)。 


「目が見えなくなったために、
見えるようになったもの
   人の魂の透明な美しさ
   体の不自由な人、目に見えない人、病気の人の不安と苦しみ
私のそばにいて、助けてくれようとする人のやさしさと友情
神様がくださっている溢れるほどのお恵みと哀れみと愛
そして、神さまがあらゆる『小さくされた人々』に対して抱いておられる深い深い慈しみ」

(阿南慈子の病床のマリア)

2011.1.1

説教題「あなたの前の門」 大村 清 牧師
ヨハネ黙示録3:7-8 / 使徒言行録12:5-11

◆明けましておめでとうございます。
「主を仰ぎ見る人は光と輝き、辱めに顔を伏せることはない。この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、苦難から常に救ってください。主の使いはその周りに陣を敷き、主を畏れる人は守り助けてくださった」。(詩編34:6-8)。
主なる神は、今、わたしを仰ぎ見るあなたの顔は光となっているでしょうかと問われます。あなたはわたしの光を映して輝いているでしょうか、と。主はあなたの顔を主の光で輝かすと言われます。それを信じていきましょう。もう、うなだれることはありません。主を仰ぎ見つつ、共に手を携えて、歩んでいきましょう。今年も主の恵みと導きが豊かに注がれますことをお祈りしています。主にある交わりが与えられ、互いに励まし合い、主の委託に応えていきたいと思います。      

「見よ、わたしはあなたの前に門を開いておいた。だれもこれを閉めることはできない。」(ヨハネ黙示録3:8)。
「その後、わたしが見ていると、見よ、開かれた門が天にあった」(黙示録4:1)。
「すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」(ヘブル12:1-2)。


この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架を担う。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、
ねたまず、人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること
老いの重荷は神の賜物。
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとに行くために。おのれをこの世につなぐ鎖を少しずつはずしていくのはまことにえらい仕事。
こうしてなにもできなくなれば、
それを謙虚に受諾するのだ。
神は最後の一番よい仕事を残してくださる。それは祈りだ。
手はなにもできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来たれよ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

ホイベル神父―最上のわざー