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2012.1.29 降誕節第6主日礼拝

説教題: 「新しい神殿」 林邦夫 牧師
聖 書:  ヨハネによる福音書2:13-251
招詞:ハバクク2-20 / 交読詩編 48ケ9-15 /讃美歌 21-520, 21-522, 21-418

 人間に起こる出来事は、必ず意味を持っております。特に、主イエスが行われた出来事には、一つ一つ重大な意味があります。しかし、この重大な意味は、事実を克明に知ること、事実の底流に何があるかについての洞察力がなければ理解できません。主イエスの宮清めの意味はどこにあるのでしょうか。ヨハネは17~22節によってこの重大な意味を結論づけます。つまり、ヨハネはこの出来事を神殿の再建として理解していることが語られています。ここでの主イエスの言葉は一見奇異に聞こえます。誰しも一つの謎を感じます。「教会をキリストの体」と呼ぶのはパウロの特徴的な表現です。しかし、ヨハネ福音書も、この出来事の位置と意味づけによって、「教会はキリストの体」であることを明確に示しております。教会はキリストの体である。主が熱心に清め再建し、そこに復活の命を吹き込んでいる神の宮、それが教会です。

2012.1.22 降誕節第5主日礼拝

説教題: 「宣教の開始」 林陽子 牧師
聖 書:  ヨハネによる福音書2:1-11
招詞:ロマ書12:1 / 交読詩編 19:8-15 /讃美歌 21-51, 21-286, 21-451

 ヨハネは、この福音書を通して次のメッセージを伝えております。「神の子は人間の行為の報酬として奇跡を行うのではありません。奇跡は全く神の子ご自身の自由の中から恵みとして人間に与えられるものであり、神ご自身が人間に働きかけたもう時の成就のしるしとして、私たちの世界にあらわにされるものであります」と。具体的にはこの奇跡をどのように解釈すればよいのでしょうか?「口のところまでいっぱい」の水が「良いぶどう酒」に変えられたとあります。それは、被造物の再創造を通してのキリストの恵みの充満を意味しています。そして、恵みの充満はまた人間における喜びの充満でもあります。あふれるほどのぶどう酒は、旧約聖書から見てみますと、祝福の実現(創49:12)であり、救いの時のしるし(亜モス9:13、ヨエル4:18)として表現されています。このことからもわかりますように、神は救いの成就のしるしとしてあふれるほどのぶどう酒に変え、キリストの恵みを満たしてくださいました。

2012.1.15 降誕節第4主日礼拝

説教題: 「最初の弟子たち」 林邦夫 牧師
聖 書:  ヨハネによる福音書1:35-51
招詞:詩編100:1-2 / 交読詩編 119:9-16 /讃美歌 21-287, 21-516, 21-507

2012.1.8 降誕節第3主日礼拝

説教題: 「神の平和を受け希望ある未来へ」 林邦夫 牧師
聖 書:  テサロニケの信徒への手紙Ⅰ5:16-18
前奏 前奏曲13番東日本大震災に接して 文屋知明
招詞:詩編96:1-2 / 交読詩編 36:6-10 /讃美歌 23, 301, 527

「喜び」「祈り」「感謝」それは、まさにキリスト者の標識、また、品性のようにさえ思われます。変転多い私たちの人生において、順境の日に喜び祈り感謝することは容易です。しかし、ここで見落としてはならないのは、「いつも」「絶えず」「どんなことにも」なのです。こうなると事情は違います。逆境の時にも、悲しみや苦難が降りかかる禍の日にも、信仰生活のリズムを変えることなく、「愛する者を鍛錬」して下さる神の試練として、喜び感謝するということは、言葉で言うほど容易ではありません。それではパウロがこのように勧める根拠は一体何なのでしょうか。それは神が共にいて下さるという信仰です。どのような時にも、神のご支配の中に生かされていると信じる信仰です。その信仰によって、マイナスと見える状況の中でも、静かに動揺せず、喜びと祈りと感謝の生活を送ることができます。その時事態はプラスに変えられていくのです。

2012.1.1 降誕節第2主日(元旦)礼拝

説教題: 「降誕祭の光のもとで 」 林邦夫 牧師
聖 書:  マタイによる福音書2:16-23
招詞:詩編98:1、3 / 交読詩編 103:6-13 /讃美歌 21-280, 21-368, 21-469

クリスマスの出来事に招かれ、主イエスと出会うことが出来たこれらの人々は、その後、それぞれ自分の生活の場に帰っていきました。クリスマスの出来事は、私たちが日常生活を送っているところに、もう一度引き戻す力を持っているのではないでしょうか。  確かにクリスマスから新しい生活が始まるのでありますが、それはこれまでの生活の繰り返しではありません。あの占星術の学者たちも、み子イエスに出会い、神の新しいご支配に触れた者として、み子イエスに出会う前の人間ではなく、新しく感激に満たされて賛美しつつ、自分たちの国へ帰っていきました。それは彼らにとって長い旅の終わりであったではなく、むしろ主に出会うことによって始められる新しい生の出発点でありました。