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2014. 12. 28 降誕節第1主日礼拝

「東方の学者たち」 林陽子牧師
イザヤ書60:1-7 / マタイによる福音書2:1-12



2014. 12. 21 降誕前第1主日礼拝(クリスマス礼拝)

「イエスの宿られる場所」 林邦夫牧師
ルカによる福音書2:1-7

 イエス・キリストのご降誕をお祝いします。
 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」(ヨハネ3:16-17)
 神は罪の世を愛して下さり、ご自身のひとり子をこの世にお遣わしになりました。この神の愛の業こそが、まさにクリスマス、み子の誕生の出来事です。



2014. 12. 7 降誕前第3主日礼拝

「美しい足」 林邦夫牧師
イザヤ書52:1-10

  この不条理な現実の中で、私たちはどのように生き、何を語ればよいのでしょうか。預言者は「あの喜びもたらした人の足を思い起こせ」と語り告げるのです。彼は傷だらけになっても、泥だらけになっても主の救いと恵みを語り続けるのです。同じように廃墟のエルサレムの中で落胆しそうになっている人々に、主の救いを信じ、主のみ旨に従って生きることの大切さを訴えているのです。その言葉は必ず現実となり、世界に平和と喜びをもたらすのだと励ましているのです。そしてこれこそ、この現実の過酷さの前に立ち尽くしてしまっている私たちへの神からのメッセージではないでしょうか。
 アドベントとは、イエス・キリストを待ち望む時です。それは同時にキリストの到来を告げ知らせる時でもあります。私たちが苦難の中にいるとしたら、まさにそこにおいて主の救いを人々に告げ知らせようではありませんか。私たちが現実の厳しさと重さの中で、意気消沈しているならば、まさにそこにおいて主の救いを人々に告げ知らせようではありませんか。この時代の中で、私たちの生活のただ中で、主の救いと主の平和を語り告げる者となりましょう。


2014. 12. 14 降誕前第2主日礼拝

「マリアの賛歌」 林邦夫牧師
イザヤ書11:1-10 / ルカによる福音書1:26-38

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(38節)
 聖書は、神の民としてのひとつの共同体全体の歩みも、また一人の人間の歩みも、神の選びと導きのもとにあることを告げています。神の選びが働く時、共同体は共同体として、また個人は個人として、神のみ心が成るように証しし、働き、歩みつづけて行くのです。そのみ心を私たちが自分勝手に推し量ったり、自分たちの想像できる範囲の中に留めてしまうことは許されません。
 神の選びが働く時、神の民はそれまでの神の民の歴史を踏まえながら、しかもそれまでの神の民とは異なるものとして新たに歩み始める可能性を与えられました。そして、神の選びが働く時、マリアはマリアでありつつ、しかもそれまでのマリアの知らなかった世界へと踏み出したのです。
 おそらく10代後半くらいの年齢であったろう少女にとって、この時、自分の身に起こったこと、自分が天使に応えた言葉の本当の意味を十分に理解するまでには、長い年月が必要であったかもしれません。同じように、王国の滅亡という悲劇に秘められた神のみ心を神の民が本当に理解するまでには、何百年もの時間が必要だったのだろうと思います。



2014. 12. 7 降誕前第3主日礼拝

「美しい足」 林邦夫牧師
イザヤ書52:1-10

  この不条理な現実の中で、私たちはどのように生き、何を語ればよいのでしょうか。預言者は「あの喜びもたらした人の足を思い起こせ」と語り告げるのです。彼は傷だらけになっても、泥だらけになっても主の救いと恵みを語り続けるのです。同じように廃墟のエルサレムの中で落胆しそうになっている人々に、主の救いを信じ、主のみ旨に従って生きることの大切さを訴えているのです。その言葉は必ず現実となり、世界に平和と喜びをもたらすのだと励ましているのです。そしてこれこそ、この現実の過酷さの前に立ち尽くしてしまっている私たちへの神からのメッセージではないでしょうか。
 アドベントとは、イエス・キリストを待ち望む時です。それは同時にキリストの到来を告げ知らせる時でもあります。私たちが苦難の中にいるとしたら、まさにそこにおいて主の救いを人々に告げ知らせようではありませんか。私たちが現実の厳しさと重さの中で、意気消沈しているならば、まさにそこにおいて主の救いを人々に告げ知らせようではありませんか。この時代の中で、私たちの生活のただ中で、主の救いと主の平和を語り告げる者となりましょう。