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2014. 8. 31 聖霊降臨節第13主日礼拝

「神を呼ぼう」 林邦夫牧師
マルコによる福音書10:46-52


2014. 8. 17 聖霊降臨節第11主日礼拝

「主に従う道」 林邦夫牧師
マルコによる福音書9:38-50

 「地の塩として生きよ」、この勧めは主イエスが歩まれたように、軽んじられているもの、片隅に追いやられている人々と共に歩む道へと私たちをいざなうものであります。
 「そして互に平和に過ごしなさい」、平和という言葉で結ばれていることによって、私たちはこの箇所が、弟子たちの間の「誰が一番えらいか」という内緒話から始まっていたことを思い起こします。「平和を」そうです。主に従い行く私たちにおいて、そしてこの世における小さい信仰者たちとの間で、この平和は、キリストにおいてすでに与えられています。それゆえ、それはここから、即ちキリストに従い行く私たちから始まらなければなりません。
しかし、それは今見たように、私たちの自分自身との厳しい闘いなしにははじまりません。誰が一番えらいかという発想と生き方からは平和は不可能です。自己中心や甘えを脱して、他に仕え、他を受け入れるところから平和は始まります。
 主の十字架の道も、そのような平和を求めての歩み以外のものではなかったのです。神と人、人と人との和解、それによってなったのです。主イエスに従い、その平和の支配のもとにすべての人が共に与ることができるようにと祈りつつ。

2014. 8. 10 聖霊降臨節第10主日礼拝

「無学の普通な人」  清教学園 土井直彦先生
使徒言行録4:1-22

てんごくにいる 私たちの神さま 
神さまのおなまえが 
たいせつにされますように。

へいわのくにが きますように。
神さまから心をもらう行事が
おこなわれますように。
てんにあるように 
ちのうえにもありますように。

私たちにひつようなものを
きょうもあたえてね。

私たちのわるいこと(だめなこと)
ゆるしてください。
私たちもじぶんにわるいことのあるひとを
ゆるしましたように

私たちを きょうだいげんかにあわせず
おかあさんから おこられることから
すくってください。

こどもとおとなとしぜんは
ずーっと神さまのものです。   アーメン




2014. 8. 3 聖霊降臨節第9主日礼拝

「主の平和への道のり」  林 邦夫牧師
ルカによる福音書10:25-36

 「平和の祈り」―日本のこれからと私たちー

 現在「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」が47年前に指摘した事態「祖国は・・・ふたたび憂慮すべき方向に向かっている」事は誰の目にも明らかとなりました。
 このときこそ、私たちは主イエスの御言葉に耳を澄ましたいと思います。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」(マタイ26:52)。「しかし、私は言っておく。敵を愛し、自分を迫害するもののために祈りなさい」(マタイ5:44)。
 戦争のあまりの悲惨を、身をもって経験した私たちです。その苦悩と慚愧こそが、日本人の心を、この御言葉の真理に極めて接近させ、奇跡的に「永久に戦争放棄」と定めた憲法9条を生み出したのではないでしょうか。
 キング牧師はなぜ、汝の敵を愛すべきなのか、その理由を説教しました。
 「憎しみに対して憎しみをもって報いることは、憎しみを増すのであり、すでに星のない夜になお深い暗黒を加えるからである。暗黒は暗黒を駆逐することができず、ただ光だけができるのだ。憎しみは憎しみを駆逐することができないのであって、ただ愛だけができるのだ。・・憎しみは憎しみを生じ、戦争はさらに大きい戦争を生むといった悪の連鎖反応は、破られねばならない。そうでないと、われわれは絶滅という暗黒の奈落に投げ込まれるであろう」    

「信徒の友」8月号から一部抜粋